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初めての熊本研修④(熊本名所の畳見学編)
2日間かけての農家さん訪問と問屋さん見学を終え、最終日は社長の勧めで最高級の畳が使われている熊本県内の名所を見学することになりました。
まず向かったのは八代市千丁町にある「せんちょう図書館」です。
「畳を見学するはずがなぜに図書館?」と思いますが、中に入ってみると
図書館の中に畳が!(*’▽’)
児童書コーナーが畳敷きで、子ども達が畳の上で本を読みながらくつろいでいました。
リラックスして本を読むには最高の環境です。
茨城の図書館で畳を見ることなんてありませんが、これは良いアイディアですね。
ここで本を読んで育った子供たちはきっと畳が大好きになるんだろうな思いました。
せんちょう図書館を後にし、次は車で八代市から熊本市へ。
熊本市は熊本県の県庁所在地であり、県内人口の約42%にあたる約74万人の市民が住む日本最南端の政令指定都市です。
九州では、福岡市、北九州市についで、3番目に人口が多い市ですが、「水と森の都」の代名詞で知られるように都市化が進みつつも自然と共存した街づくりがなされている景観の美しい街です。
都市部ですが緑豊かな熊本城を背景に、街中を路面電車が走っていく姿はどこかノスタルジックな雰囲気を感じます。
向かったのは水前寺成趣園(通称:水前寺公園)です。
鷹狩りの際にこの地を気に入った熊本藩細川氏の初代藩主細川忠利が1636年頃に築いた「水前寺御茶屋」から始まり、第3代藩主綱利公が大規模な造成を行い完成した肥後細川家ゆかりの庭園です。
熊本市出身の歌手で、「365歩のマーチ」で有名なチーターこと水前寺清子さんの芸名の由来としても知られています。
入り口の大きな鳥居をくぐり
通りを抜けると緑豊かな美しい日本庭園が目の前に広がります。
東海道五十三次を模した造りといわれており、入園して正面に見える築山は富士山。
そのほか浮石、松の木、芝生なども東海道の風景をイメージして造られています。
回遊式庭園という園内をぐるりと巡りながら鑑賞することを意識して造られた庭園なので池の周りを巡りながらゆっくりと庭園を鑑賞することができます。
眺めていると池の水の美しさに目を惹かれます。
阿蘇山でろ過された雨水が地下水となり湧き出したもので、環境省の日本の名水百選にも選ばれているそうです。
園内にある出水神社へ
西南戦争後に焼け野原となった熊本で、旧藩主を慕った旧藩士達により創建され、細川家歴代藩主とガラシャ夫人が祀られています。
立派な本殿を眺めていると何やら厳かな雰囲気で多くの人が中を見ています。
覗いてみると、ちょうど神前結婚式をしているところでした。
こんな美しい庭園のある神社で結婚式を挙げるのは一生の思い出になりそうですね。
境内にある飲めば長生きできる「長寿の水」をいただきました。
県外から神水をわざわざ飲みにくる人も多い。知る人ぞ知る湧水スポットだそうです。
そしていよいよお目当ての畳のある「古今伝授の間(こきんでんじゅのま)」へ
園内でひと際目を引く茅葺屋根の建物は今から400年前に京都御所内にあったものを、大正元年(1912)に水前寺成趣園に移転したそうです。
この部屋で細川家初代の細川幽斎公が桂宮智仁親王に「古今和歌集の解説の奥儀」を伝授されたことからこの名前がつきました。
中には畳の部屋があり、休憩場所として多くの観光客がくつろいでいました。
毎日たくさんの観光客が上がるので痛みのありましたが、使われているのはやはり最高級の熊本産畳表「ひのさらさ」です。
和歌の神髄を伝えた日本唯一の宮家の学び舎に思いを馳せながら、畳の上に座り、そこから望む庭園を眺めているととても心が落ち着きます。
こちらでは抹茶と茶菓子を食べることもでき、観光客の中国人の皆さんが畳の上で正座をしながらガイドさんにレクチャーを受けていました。
テレビでは中国人観光客はマナーが悪いとよく聞きますが、水前寺公園で出会った中国人の皆さんは真摯に耳を傾け日本文化をリスペクトする姿勢がとても伝わってきました。
海外の方が日本の文化に触れるこういった姿を見るのはとても嬉しいですね。
水前寺公園の見学を終え、次はいよいよ3日間の研修のラスト。
熊本人気ナンバー1の観光スポットである熊本城にやってきました。
駐車場から熊本城に向かい歩き
御殿への正式な入口である「闇り御門」という地下通路を潜ります。
全国の城でもこのような地下通路があるのは珍しいとか。
なんかRPGゲームの世界に迷い込んだようなワクワク感があります(^O^)
熊本城は朝鮮の虎退治で有名な猛将で、築城の名手であった加藤清正公が築城し、日本三名城の一つに数えられています。
武功だけでなく、熊本では農業政策でも実績を上げ、現在に至るまで「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれ肥後人に大変崇拝されている大名です。
「隈本」という地名を「熊本」に改名されたのも、「勇ましいから!」という清正の意向だったと言われています。
熊本城の石垣は、地面付近は勾配がゆるく上に行くにしたがって勾配がきつくなる独特なもので、武者返し(むしゃがえし)や「清正流石組」などと呼ばれています。
石垣の下の方は30度程度と緩やかですが、上の方は垂直に近い絶壁になってます。
見上げるとそびえ立つように巨大に見え、敵を寄せ付けない迫力があります。
天守閣に入ると中は博物館になっていて熊本城の様々な資料を見ることができます。
最上階まで登ると大天守閣が展望所になっており、熊本市内はもとより遠く阿蘇の山並みまで見ることもできます。
見晴らしは最高でとても気持ちが良いです。
お城マニアではないですが、ちょっとハマる人の気持ちがわかりました。
こうして熊本の街並みを見下ろしていると大名になったような気持ちになりますね。
そしていよいよ本題の熊本城の畳見学へ!
天守閣の隣にあり、行政の場、生活空間として利用された本丸御殿に入ります。
お目当ての本丸御殿大広間に辿りつきました。
大広間はいくつかの部屋に分けられていて、手前から「鶴之間」、「梅之間」、「櫻之間」、「桐之間」、そして一番奥が藩主の部屋とされる「若松之間」です。
これだけ大きい広間を見れる機会もないのでなかなか壮観です。
将棋の名人戦も行われたようで、羽生善治さんの写真も飾ってありました。
使われている畳表は特に高品質な粒の揃ったい草を厳選し、厳しい加工基準で織り上げられた熊本の最高級畳表がひのさらさです。
本丸御殿大広間の復元工事がされ7年ほどたっていますが、人の出入りがないこともありとても美しい飴色に日焼けしていました。
畳は新しいほうが良いと言いますがそんな概念を覆すように、熊本城の畳は時がたつほど魅力が増すような、暖かで艶やかな色合いがとても美しかったです。
そして奥が藩主の間である「若松之間(わかまつのま)」です。
その隣にあるのが本丸御殿の中で最も格式の高い部屋で、藩主会見の場である「昭君之間」(しょうくんのま)です。
さすが殿様のお部屋だけあって豪華絢爛ですね。
壁には中国の故事に登場する「王昭君」という絶世の美女の物語が描かれています。
「昭君之間」は「将軍の間」の隠語で、加藤清正が豊臣秀吉の子である秀頼に万一の事があった場合に、迎え入れる為に作った部屋と言われているそうです。
熊本城の見学を終え、3日間の研修の最後に天守閣と記念撮影。
観光地で畳ばっかり見てる変な奴だと思われたと思いますが、とても勉強になりました。
農家さんや広野商店さんの多大なご協力をいただき、初めての熊本研修は無事に終わりを迎えることができました。
一人きりの研修でしたが皆さんのおかげで貴重な学びを得ることができました。
終わってみて感じたのはとにかく「来てよかった」ということです。
いくら情報として知っていても、イ草づくりの現場に行ってお話しを聞き、自分の目で見てみなければわからないことがたくさんあるのだと知りました。
私たち畳屋が使う一枚の畳表には、生産者や問屋さんなど、熊本の方々のたくさん想いが詰まっているんだとわかりました。
お客様に畳をお届けするリレーのアンカーとして、今回得た経験を茨城の皆様にしっかり伝えていこうと思います。
見習いの身として、今回お世話になった方々に恩返しできるよう今後も畳屋修行に精進していきたいと思います。
熊本の皆様、3日間ありがとうございました!
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